日本の埋蔵金伝説

日本の埋蔵金伝説

埋蔵金伝説

これまで日本で発見された埋蔵金とされるものは約50件あります。これは公表されているものだけなので、公表されていないものも含めるとそれ以上になると思われます。ただ、公表されているもののほとんどが工事中や、たまたま偶然発見されたものばかりです。

今もなお眠ったままのお宝はあるのでしょうか?

では、これまで発見された埋蔵金の一部を紹介していきます。

 

 

小松ストアーの埋蔵金

小松ストアー埋蔵金

出典:http://www.hakubutu.jp

1956(昭和31)年、東京都中央区の銀座で「慶長」「正徳」「享保」の3種類の小判208枚と一分金60枚が工事中に発見されました。

徳川幕府の軍用金ではないか、幕府が官軍から隠した金ではないか、などの説が飛び交いましたが、埋蔵金が発見された小松ストアーの社長によると、「先祖は幕府の御用商人だったが、維新戦争の混乱の際、一家は小判だけをかついで命からがら今の銀座に逃げてきたと伝え聞いている」と話しています。

このことから、幕府の埋蔵金ではなく小松ストアー社長のご先祖の資金だったと思われます。

「めでたい」という理由に、社長は所有権を放棄し、国の「埋蔵文化財」として上野の東京国立博物館に寄贈し、現在も保管されています。

 

一分金(いちぶきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種。金座などで用いられた公式の名称は一分判(いちぶばん)であり、「三貨図彙」には一歩判と記載されている。

---Wikipedia

 

 

最上川で発見された飛脚の小判

最上川

出典:Wikipedia

1961(昭和36)年、山形県西置賜郡白鷹町の最上川で発見されました。発見したのはなんと!小学生!たまたま魚捕りをしていたときに1枚の小判を発見したそうです。その後、噂を聞きつけた人々が「文政小判」23枚、「文政二分金」9枚、「文政南鐐二朱銀」358枚を発見しました。

持ち主は、商人に頼まれて届ける途中に溺れ死んだ飛脚で、持っていたのは金80両とされています。ただ、発見された枚数では足りないので、あとの残りはもしかしたら今も…?

 

鹿島清兵衛の埋蔵金

1963(昭和38)年、東京都中央区新川の工事現場から「天保小判」1,900枚、「天保二朱金」約78,000枚の江戸時代の金貨が発見されました。これは埋蔵金としては過去最高額で、当時の価値で6,000万円。現在の価値に換算すると10億円相当と言われています。

この金貨は、江戸時代に酒問屋を営んでいた鹿島屋9代目鹿島清兵衛が埋めたものだとわかり、その後子孫に返還されました。

 

鹿島屋とは?

江戸十人衆の1人に数えられ、現在の三越の越後屋、大丸、白木屋(東急)もその仲間だったそうです。

 

ぶどう畑から甲州金

勝沼ぶどうの丘

出典:https://www.city.koshu.yamanashi.jp

1971(昭和46)年、山梨県の観光ぶどう園の地下から、蛭藻金(ひるもきん)2個、甲州金18個、渡来銭(中国の銅銭)5,000枚が発見されました。発見された場所の近くに勝沼氏館跡があったことから、これらは軍用金の一部ではないかとされています。

 

勝沼氏とは?

戦国時代の武将。武田家の一族で武田信玄の叔父にあたる人物が勝沼信友。正式な名は武田信友で、勝沼は家号とされます。

蛭藻金(ひるもきん):戦国時代、内部まで金でできていることを証明するため、板状に打ち延ばした判金。
甲州金(こうしゅうきん):日本で初めて体系的に整備された貨幣制度および、それに用いられた金貨。(画像は甲州一分金)

---Wikipedia

 

打ちあげられた小判

七里長浜

出典:青森県観光情報サイト

1948(昭和23)年、青森県にある七里長浜に打ちあげられた小判14枚が発見されました。さらにその7年後の1955(昭和30)年には30kgもある銅板2枚が発見されています。

これは1821年にその付近の沖合で、金、銀、銅を積んだ南部藩の船が沈没したという記録が残っているため、それらの宝はその南部藩のものだろうと考えられています。

 

昭和30年代以降、高度成長期工事ラッシュで次々とお宝が発見される

東京オリンピックに刺激され、マンション開発やインフラ整備などの工事ラッシュの中、東京都で多数の埋蔵金が次々と発見されています。

  • 1957(昭和32)年:浅草で天保一分銀1,086枚(現在の貨幣価値110~1,085万円)
  • 1957(昭和32)年:銀座で元文小判68枚(現在の貨幣価値680~3,400万円)
  • 1959(昭和34)年:台東区で小判3枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1960(昭和35)年:神田で元文一分金41枚(現在の貨幣価値12~32万円)
  • 1963(昭和38)年:港区で慶長一分金320枚(現在の貨幣価値320~1億6,000万円)
  • 1964(昭和39)年:目黒で一分金など約4,600枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1964(昭和39)年:江東区で慶長小判35枚(現在の貨幣価値3,500万円~)
  • 1964(昭和39)年:練馬で小判27枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1966(昭和41)年:千代田区で天保五両判6枚、天保小判101枚(現在の貨幣価値2,800~7,000万円)
  • 1971(昭和46)年:文京区で文政小判55枚、二朱金9枚(現在の貨幣価値1,000万円~)
  • 1974(昭和49)年:元浅草で二分金600枚~二朱金1,600枚(現在の貨幣価値2,000万円~)

---過去に発見された埋蔵金

 

東京都以外でも発見された埋蔵金

  • 1957(昭和32)年:埼玉県で一分金、二分金、一朱銀、小判など550両(現在の貨幣価値不明)
  • 1957(昭和32)年:新潟県で享保小判37枚、一分金2枚(現在の貨幣価値2,000~3,700万円)
  • 1958(昭和33)年:長野県で慶長小判6枚(現在の貨幣価値1,000万円~)
  • 1959(昭和34)年:秋田県で小判70枚、一分金80枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1959(昭和34)年:三重県で慶長小判15枚(現在の貨幣価値1,500万円~)
  • 1960(昭和35)年:宮城県で銀貨332枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1960(昭和35)年:埼玉県で小判107枚、一分金66枚(現在の貨幣価値2,000万円~)
  • 1961(昭和36)年:群馬県で元文小判185枚、二分銀1枚(現在の貨幣価値1,850~9,200万円)
  • 1963(昭和38)年:大阪府で丁銀43本(現在の貨幣価値不明)
  • 1963(昭和38)年:岩手県で一分金3,890枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1964(昭和39)年:新潟県で元禄小判など13枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1966(昭和41)年:栃木県で二分金など537枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1967(昭和42)年:奈良県で享保大判、中判などの他に小判50枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1973(昭和48)年:埼玉県で文政小判、一分銀109枚(現在の貨幣価値500万円~)
  • 1974(昭和49)年:大阪府で文政小判など243枚(現在の貨幣価値4,000万円)
  • 1974(昭和49)年:長野県で文政小判15枚、一分金10枚など(現在の貨幣価値1,50~750万円)
  • 1976(昭和51)年:秋田県で慶長、正徳、享保の一分金104枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1978(昭和53)年:群馬県で二分金、二朱金、一分銀など3,216枚(現在の貨幣価値不明)
  • 1979(昭和54)年:埼玉県で元文小判489枚(現在の貨幣価値4,900~2億5,000万円)
  • 1986(昭和61)年:滋賀県で小判60枚、一朱金157枚(現在の貨幣価値1,000万円~)
  • 1990(平成2)年:岡山県で天保一分銀42枚(現在の貨幣価値4~42万円)
  • 2002(平成14)年:富山県で小判、二分金、一分銀など1,240枚(現在の貨幣価値3,900万円~)
  • 2002(平成14)年:埼玉県で小判38枚(現在の貨幣価値不明)

---過去に発見された埋蔵金

 

未だ発見されていない埋蔵金伝説

  • 徳川埋蔵金
  • 豊臣秀吉の黄金
  • 武田信玄の軍用金
  • 結城晴朝の黄金
  • 旧日本軍の隠蔽物資
  • 毛利家の軍用金
  • 尾張徳川家の埋蔵金

他にもいくつかありますが、特に信憑性が高いものをまとめてみました。やはり知名度が高いのは、当時テレビ番組で何度も取り上げられ一世を風靡した徳川埋蔵金ですよね。その価値は現在の貨幣価値で200兆円にものぼるそうです。日本の国家予算が101兆円(2019年度)ですので、その額がどれほどとんでもないものなのか分かると思います。

 

徳川犬康
徳川埋蔵金伝説とは?その場所がついに判明?

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まとめ

埋蔵金伝説にはロマンがありますが、日本全国364ヵ所にのぼる伝説のうち、99%がフィクションであり真実味があるのはわずか1%程度と言われています。現在はほとんどが開拓されていて偶然見つかるというのは難しいですが、トレジャーハンターとして夢を追い続けてみるのも良いんじゃないでしょうか。

 

 

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